2009-04-06 Mon 21:29
![]() 2月に出た、スカパラのニューアルバムです。 正直、ほんとに本音を言えば、 やっぱり冷牟田さんが脱退したのは淋しくて。 だから、このアルバムから彼の声が聞こえないのは、 なんか物足りないんですよね。 考えてみたら、 ライブでは結構、冷牟田さんを見てた時間が長かったんだなと。 もちろん、谷中さんとか、かっこいいんですけど、 でも、センターでみんなを煽ってたり、 ちょこっと腰掛けてサックスを吹いてたり…かっこよかったんです。 と、過去を振り返っても仕方ないので、 とりあえずノリノリで、明日はライブに行ってきます! トイレで踊ってるとか言ったら、ひきますか…?(笑) |
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2009-04-06 Mon 01:25
今度は少し、芸術的な観点から。
前回、書きませんでしたが、 産業奨励館は、チェコの建築家、ヤン・レツルによるもの。 アールヌーヴォーの建築家として活動していた方で、 私は以前、テレビでその設計原書みたいなものを見たことがありますが、 本当にオシャレなんですよね。 大正時代に、広島にもこんなにオシャレな建物があったっていうのは、 なんか意外だなと思ったのを覚えています。 私はそこが、「原爆ドーム」になってからしか 目にしたことがないですから…。 ![]() 次は、平和の門。 フランスの建築家、ジャン・ミシェル・ヴィルモットの設計で、 2005年に新しくできたものです。 ![]() ![]() 49ヶ国の言語で「平和」の文字が書かれており、 100m道路を挟んだ道向かいにある、 広島平和記念資料館の柱と平行に並んでいます。 ![]() それから、次は2本の橋です。 平和公園の南東にかかる橋、平和大橋。 ![]() そして、もう1つ、 平和公園の南西にかかる橋、西平和大橋。 設計は、あのイサム・ノグチです。 イサム・ノグチの作品が、ここにあったなんてね…。 ちなみに、この2本の橋には、彼によって ・平和大橋 :Ikiru (To Live) ・西平和大橋:Shinu (To Die) という名前がつけられています。 この橋の設計者が誰だったのか、 私が知ったのは、つい数年前です。 欄干が低いから、安全性を考慮して架け替えを検討している、 というニュースで知りました。 何度も何度も渡ったことがあるのに、 まさかそんな橋だったなんて、 恥ずかしながら、本当に知らなかったんですよね…。 彼が遺した平和へのメッセージを、是非、残してほしいものです。 ![]() それからぐるっと周って、また相生橋まで戻って。 原爆ドームの反対側(北側)も桜がきれいで、 ピンクの帯がず~っと向こうまで続いていました。 「夕凪の街 桜の国」に出て来るお寺の屋根も見えますね。 60年は草も木も生えないと言われた土地で、 今年もこんなにきれいな桜が咲いているのが、 なんか、少し嬉しいなと思います。 |
2009-04-06 Mon 00:48
今までの人生で、敢えて直接的にはカメラを向けなかった。
けど今日は天気も良かったし、桜もきれいだし、 なんとなく、行ってみようかなと…。 直接カメラを向けるのは、人生で今日が初めてです。 ![]() 相生橋の上より、平和公園と原爆ドームです。 初めて来た人は、少し驚くみたいですが、 原爆ドームは、広島の街の一番の中心地にあります。 ほんとに普通に建っています。 元々、産業奨励館という建物ですからね。 織田信長がいたお城でも、紫式部がいた建物でもなく、 自分の祖父母たちが子供の頃にはグリーンの屋根がきれいだった ただのオシャレな建物ですからね…。 遠くに見える元安橋の上は、お花見客が大勢いました。 ![]() その元安橋を渡ったところにあるのが、原爆の子の像。 千羽鶴を掲げた、佐々木禎子さんの銅像で、 今でも全世界から、たくさんの千羽鶴が寄せられます。 原爆の後遺症に悩んでいた禎子さんが、 「鶴を千羽折れば、願いが叶う」 という話を聞いて、 病気を治したいと、薬の袋を使って毎日鶴を折った というのは、広島の人であれば知らない人はいない話です。 でも、"佐々木禎子さん"というのは、 ある意味シンボルでしかなかったんですけどね。 だけど数年前、私のよく知る人が、その禎子さんと幼馴染だった、 一緒に遊んでいたけど、あの子は死んで私は生き残った… と話しているのを聞いて、初めて実際の人となった気がします。 広島には、あの有名な像の幼馴染という人も、いるんですよね…。 ![]() その、禎子さんの像の南にあるのが、平和の灯です。 手首を合わせて手のひらを大空にひろげた形を表現しており、 丹下健三さんの設計です。 写真には灯がちゃんと写っていませんが、真ん中で炎が燃えており、 世界から、核兵器が無くなるまで燃え続けるとされています。 "核兵器が無くなる"日が来ない限り、消えないんですね…。 ![]() 8月6日の日になると、 よくニュースで撮られるカットですね。 原爆慰霊碑と、その向こうに原爆ドームが見えます。 これは、先ほどの丹下健三さんの設計によるもので、 平和資料館と慰霊碑と原爆ドームが、一直線になるように 考えられています。 この慰霊碑の下には 「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」 という石碑があり、 その下には、毎年更新される原爆死没者名簿が納められています。 ![]() 少し遠めですが、広島平和記念資料館です。 もちろん、丹下さんの設計によるもの。 ただここは…子供の頃からもう何度も入っていますが、 現状をよく知っている私でも、なかなか足が進まないところです。 でもそれが、あの朝広島で起きた"事実"なんですけどね。 決して目を背けてはいけないのはわかっていますが、 ちょっと内容が重過ぎて・・・。 小さい子向けの展示ルートを検討中らしいです。(私も賛成です) ![]() 最後に、その広島平和記念資料館の前にある、嵐の中の母子像。 一人の子どもを前にぐっと抱きかかえながら、 後ろのもう一人の子も、離さないようにしっかりとつかんでいる。 初めて見たのは、幼稚園の頃だったと思います。 その印象が強すぎて… 私の中では、他のどの像や碑よりも印象深いものです。 そう考えたら、私たちは、幼稚園の頃から 既に「平和教育」というものを受けてきたんですね。 ![]() ![]() 平和公園って、本当に広いんですよね。 川沿いは桜が満開で、お花見客も大勢いて。 でも、この広い空間は、もちろん昔は公園だったわけではなく、 たくさんの人たちが住んでいた町でした。 一瞬で消えてしまった町…。 私の大学の学生や先生たちが、 その町を3Dで復元しようと活動していましたが、 それを見ると本当に家があってお店があってお寺があって…。 平和公園の中を歩いていると、そんなこと忘れてしまいます。 広い空間があって、幸せそうな家族が歩いていて、 桜の木の下では若いカップルがお花見をしている…。 たった60数年前に、 その下で、何万という命が一瞬で消えたなんて、 忘れてしまいそうになります。 平和であることは幸せなことだと思いますが、 平和であるということは、 その下にたくさんの犠牲があることなんだなと。 忘れないように、しないといけないですね。 忘れかけたら、 またちゃんと思い出すように、しないといけないですね。 |
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